令和4年度「初御看経」

 令和4年元日の午前6時30分より、「初御看経〔はつおかんきん=新年度最初の晨朝勤行〕」が営まれました。

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 佛立宗の信心修行の基本に、お寺への「朝参詣」があります。他宗の寺院とは大きく異なり、佛立宗の各寺院には毎朝たくさんのご信者が参詣され、御題目口唱、御法門聴聞、祈願、回向などが行われる一座の法要が毎朝営まれます。

 1日の一番最初の時間をお寺参詣に費やすのですから、眠い中、早起きして参るとなるとそれは誰にとっても大変辛いことです。

 しかし、この朝参詣は、毎日の時間の「お初穂」を御宝前にお供えすることになり、とても功徳が大きいものなのです。「時は金なり」といいますように、時間は我々人間にとってお金であり、また命そのものであり、大変貴重なものですから、朝参りの辛さはそのまま大きな功徳となって我身に返り、その日1日をかならず安穏に過ごさせていただくことができます。

 お寺へ参詣すると、御題目の口唱行はもちろんのこと、御法門の聴聞、お花料やお灯明料などの御有志金の奉納、お掃除当番等のご奉公など、何をするにしても全てが信心修行です。毎朝その信心修行に励むご信者は大きなご利益を頂戴しますので、その大切さを心の底から感得されたご信者は、また明日からの参詣に気張ろうという気持ちが起こります。

 人によっては家の御宝前でお看経をあげていればそれでいいじゃないかと、思う方もいらっしゃるかもしれませんが、お寺と家庭では、修行の道場としての「清浄さ〔純粋さ、けがれのなさ〕」が全く違います。家庭の大部分は、我々凡夫がその欲を楽しむための環境となっていますから、いわば煩悩にまみれた状態です。自宅の一間に御本尊をお奉りしていたとしても、なかなか信心第一の気持ちになりにくいもの。功徳を積む道は、煩悩をできる限り抑え、信心を優先して日々を送ることですから、欲望の支配から一時なりとも離れ、身体、時間、お金を使い、苦労をしてお寺参詣することが、何より自己の信心前を磨く修行となるのです。

 本堂での初御看経のあとは、歴代住職の御胸像前へと行道を組んで移動し、新年のご挨拶をさせていただきました。その後は、御指南室の御宝前で一同御看経をあげさせていただき、最後はご法宅〔御住職のお住まい〕で御宝前と御導師、御住職に対し、新年のご挨拶をさせていただきました。

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