令和3年度「除夜法要」を奉修

 本日、12月31日で令和3年も終わりとなります。

「ああ、今年はあんな立派な御利益がいただけたなあ」
「今年はちょっとなまけ怠ってしまい、あまり功徳を積ませていただけなかったなあ」
「あの人にもご信心をお勧めできて本当に良かった」

 などなど、今年一年を振り返ると、喜ばしいこと、残念だったこと、いろいろな思い出が頭をよぎることと思います。

 ただし、歳月というものは我々を待ってはくれず、一度過ぎれば、もう二度と返ってはきません。一度読んだ本などは、納得がいかなければもう一度読み返えすことが出来ますが、過ぎ去った月日は取り戻すことはできないのです。こう思うと、これから迎える新しい年を大切にするためにも、毎日の反省と、改良の心を持つことが大切です。

 大晦日の晩、日本の仏教寺院では「除夜の鐘」が打ち鳴らされます。除夜とは「古い年が押しのけられる夜」ということで、大晦日の晩のことです。除夜の鐘はその一年に自らの煩悩によって作り出した悪業の消滅を祈って、煩悩の数と同じ108回打ち鳴らされます。中国では宋の時代に始まり、日本では鎌倉時代から鐘がつかれるようになって、やがて室町時代の中頃から大晦日の夜半につかれるようになり、その習しが今日まで続いていると言われています。

 一方、本門佛立宗では大晦日の夜に鐘をつくことはせず、「除夜法要」をお勤めします。一年間のご奉公の区切りとして、一座の法要を営んで御題目口唱を御宝前に捧げるのです。その口唱の声には、ご信者のその一年間のご奉公の報告と、御礼、反省の気持ちが込められているのです。同時に、新年の無事ご奉公成就を祈念するのが除夜法要なのです。
 しかしそもそも、本門佛立宗のご信者は、基本的に常日頃から我身の信心前の改良をさせていただく大事を教えて頂いています。決して一年に一回、大晦日に改良をお誓いすれば良い…ということではありません。今日という日を顧みて改良し、明日という日にはすぐに新たな自分として、ご信心に励ませていただく。それを毎日毎日続けることによって、その積み重ねである一年という年月が、充実した一年となるのです。

 つまり、功徳を積み、様々なご利益をいただくことができる一年であるかどうかは、その「日々の改良の連続」で決まると言えるわけです。

 当宗の開祖、開導日扇聖人は日々の積み重ねと改良について次のように仰っています。

信心口唱は常にあることなり、乃至 植木にこへをするか如きもの也と仰られき。するとせぬとは大なる違也。難来てする信心は事成すれはやむ也。真の行者にあらず。けふの信行が翌日に響く。今年来年一生未来に響く。

佛立開導日扇聖人 御指南

 毎日の朝夕のお看経、お寺参り、お講参りに励む。いつもコツコツと御題目口唱を中心とした信行・ご奉公を続けていく。それはまるで植木が水と養分によってすくすくと育つようなものであり、するとしないとでは、やがて大きな違いを生み出すことになる。災いがやってきた時だけ一生懸命になり、ご利益をいただいたらすぐにまた止めてしまうような信心前では、法華経のご信心をしている者とは言えない。今日の信行ぶりが明日に影響し、それが続いて翌年の一年、未来へと影響していくのであるから、日々の堅固な信心ぶりと毎日の改良が、明るい未来を切り開いていくのであるとお教えくださっています。

 年末の除夜に反省することも大事ですが、決してそれで事足りると考えてはいけません。因果の道理を知る本門佛立宗のご信者は、機会ある毎に反省・改良、信心増進につとめ、日々悔いのないご奉公をさせていただくことが大切です。

いたづらに文をみしとてさかさまに 巻かへされぬとしのくれ哉

佛立開導日扇聖人 御教歌

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