朝参りの功徳で、見事志望校合格!

開導会(夏のお会式)での司会の練習を行う小田さん。
小田 清華 さん

 私の家は代々、そこそこ熱心な信者一家で、両祖父母も両親も、お寺で大きなお役をいただき、ご奉公に精を出してきました。そんな家庭で育った私は、当たり前のように母に連れられ毎日の朝参詣、組御講や青薫御講へのお参り、毎年の三大会には、シオリ配りのご奉公といった必然的にご信心を中心に置いた生活を送ってきた。そんな日々が幼い頃からの習慣となっていたおかげで、小さな事から大きな事までたくさんのご利益をいただいて大きくなっている。もしもこのご信心がなかったら、私は今ここに無事で居たか不思議なくらい御宝前に助けていただいてきた。

 しかし、人間”慣れ”とは怖いもので、どんなんい有り難い事だとしても、それが「当たり前」になってしまえば、簡単に怠けてしまう。かくいう私も、「少しくらいサボってもいいよね」という気持ちが、年を追うごとに強くなっていってしまい、毎日の朝参詣も惰性で参るようになってしまった。そしてこれは、そんな折に私が改めてご信心と向き合うきっかけになったご利益談である。

 ちょうど2年前の1月、私が中学2年生のときの事。思うように成績が上がらず、このままでは受験もしんどい事になるのではないかと、焦り始めていた。その時も朝参詣は続けていたのだが、朝が弱いためなかなか早くに起きることができず、お参りと言ってもご挨拶程度……と、やる気をあまり感じさせないものだった。その様子を見兼ねた母から、「まずは寒参詣中だけでもええから、あと10分早く起き」と言われ、その通りにほんの少しだけそれまでより早く起き、お寺へお参りするようになった。それほど変わってはいないものの、ほんの少しだけお看経の時間が増え、統けていくうちに不思議と成績も伸び始め、3年生に進級してからは、定期テストでもそこそこの高得点をマークするようになった。「朝参詣ってすごいねんな」と改めて気がついた私は、これまでよりも真剣に朝参詣のほんの少しの時間でもお看経をするようになったのだ。そしてそれはきっちり一年間続き、受験当日も家族全員で朝お寺へお参りをした。

 さらに有り難いことに、志望校であった公立高校の受験日前日、ちょうど教区の青薫合同御講があり、『志望校無事合格の御願」の言上をあげていただいた。そのおかげで、受験当日は比較的おだやかに、落ち着いて受ける事ができた。問題に関しても、その年度から数学の問題形式が変わり難しくなったことから成績が横一列に並ぶ事になり、苦手科目であった数学の成績ではなく、得意な国語が成績に大きく反映されることとなった。そのおかげで、無事合格することができたのだ。

 人よりも多く勉強をしてきたわけではない私が、こうして志望校に合格することができたのは、やはり御宝前のお力添えがあったことが一番大きい。そのご利益をいただくことができたのも、毎日の朝参詣を少しの時間だったとしても真剣に取り組んできたことが最も大きな理由ではないかと私は思っている。形だけのご信心ではなく、気持ちも伴っていることが大事なのだなと実惑した。

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