師匠から頂いた言葉、「喜び」

先日の三祖会の記事で少し触れましたが、当日、私は御宝前係として御奉公させていただきました。

もう少し若い時は、司会の御奉公をしていたのですが、それは妹に譲り、ここ数年は、御宝前係をさせていただいています。

私の御宝前係の師匠はベテランのご信者さんで、本当に丁寧かつきめ細やかに心を込めて御奉公をされていたので、がさつな私に務まるのか、、、はじめは心配でしょうがありませんでした。

ある時、その師匠と仰ぐ方から

「御宝前係のご奉公は、御宝前様に一番近くでお仕えさせてせていただける、大変ありがたいお役目ですよ」

とお言葉を頂きました。それからは、できるできないを考えるよりも、とにかくその「喜びの気持ち」だけは忘れずにと、御奉公に励ませていただいております。

日蓮聖人は

「信心」と「随喜(喜び)」は言葉に違いがあっても、意味合いは同じである

と教えて下さっているそうです。

つまり、「仏教徒(法華経の信者)である」=「ご信心をさせていただく人」というは、いつも喜びを感じている人のことをいうんですって。

人には得手不得手、器用不器用、いろいろありますが、一番大事なのは「喜びの気持ち」。。。これさえあれば、私のような”がさつ”な人間でも功徳を積ませていただけるのですね。ありがたいです。

自分で「できない」と決めつけてしまう、これが何よりもったいないことだと思います。

師匠は、何度か一緒に御宝前係をさせていただいた後に、残念ながら亡くなられたのですが、御宝前係の御奉公をさせていただく度に、師匠のこと、そしてその頂いたお言葉を、必ず思い出します。。。

師匠のお宅の御宝前はいつもピカピカで美しく、お寺はもちろん、他のご信者さんのお宅の御宝前までも、常に気にかけてくださる方でした。

到底、私は師匠のご奉公ぶりには及びませんが、私が一番苦手なところを頑張って克服するために与えられた御奉公と思い、毎回反省点はたくさんありますが、少しずつでも御宝前係の仕事が極められるよう、頑張っていきたいと思います!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です