世の中、「努力精進」は必要不可欠です!

"There is always light behind the clouds." いつかは必ず美しい光を見る日がやって来る……そう信じて、前に進もう!
“There is always light behind the clouds.” いつかは必ず美しい光を見る日がやって来る…そう信じて、前に進もう!

植物を育てるのも、子育ても、スポーツも、なんでも「努力」し続ければ最後は光を見る

植物の種を庭に植えて、「いつか必ず綺麗なお花を咲かせてくれるんだろうなぁ…」なんて心で思いながら、お水をあげて、雑草を抜いてあげ、優しい言葉をかけてあげたりなんかして、毎日毎日お世話してあげる。。。

時には

「台風の風や大雨でダメになってしまうんじゃないか……」

と思う時もありますが、

でも、最後はやっぱり綺麗な花を咲かせてくれる。

最初はあんなに小さな種でしかなかったのに!

幼い子供を育てながら、ふと

「この子も果たして将来無事にちゃんとした大人になってくれるのだろうか?」

「自分の育児のやり方は果たしてこの子にとって正しいのだろうか?」

なんて不安になる時があると思います。親は心配になりながらも、毎日がんばって子育てをしていくわけですが、

そんな心配をよそに、子供はみんな立派に学校へ行き始め、身体も大きくなって、自分で考え、行動できる大人にちゃんとなっていくんです!

オリンピックで金メダルを取る多くの選手たちは、8年後のオリンピックを目指してトレーニングを積むそうです。遠い8年後に自分が金メダルを取ることをイメージして、その8年間、細かなカリキュラムを作成し、最後にはちゃんと世界一の選手になれるよう、一つ一つ練習をこなしていくんです。これは気の遠くなるような話で、

あまりに厳しいトレーニングに取り組む中、途中で気持ちが折れることもあるはずです。

しかし、未来を信じて、毎日毎日、一歩一歩進んでいくのです。そして本当に金メダルを取る日がやってくるのです。

There is always light behind the clouds.
(曇り空のときもあるけれど、いつかはきっと綺麗な太陽の光を見ることができるわよ)

Louisa May Alcott

世間の多くの宗教は、ほんの少しの努力で「ご利益」が現れると謳っているけれど、そんなことは絶対にありえない

「ここの神社は○○のご利益があります!」

こんな風に謳っているけれど、実際に参拝する人たちは、一年に1度や2度、たま〜にお参りしては”わずかな額”のお賽銭をチャリーンと投げて、手をパチパチ合わせるだけ。

「どうか世間はこんなにひどい状態ですが、私のお店(会社)だけは繁盛しますように。。。」

と祈るわけです。それで願いが叶うと、人は思っているんですね。しかも参拝している人たちは知らないことが多いのですが、

ある有名な神社は以前は「学問の神様」を謳っていた神社だったのですが、儲からなくなったので突然「商売繁盛の神様」と謳うことに変更したそうです。

こうして祀る神様、謳うご利益を時代に合わせてコロコロ変えるんですよね。

おみくじなんかもとても滑稽です。

以前、とある有名な神社の宮司(ぐうじ)がテレビでサラーっと語っていました、

「時代が不景気になれば、大吉の数を増やして人々を喜ばせます。たちまち『あの神社はよく大吉がでる』と噂になり、多くの人々がその神社を訪れるようになって儲かるからです。」

と。神社のおみくじは裏で人間がコントロールしてるんですって。

とある新興宗教では、

2週間ほどの集中講座を受けるとなにかペンダントのようなものがもらえ、その日から手から波動?気?かめはめ波?みたいなものが出るようになり、それで人を救えるらしいのです。

たった2週間ですよ、2週間!是非世界を今すぐ救って欲しいものです。

いずれにせよ、人間の大好きな「楽して得する」ことを謳う宗教は、この世の因果の道理を無視したまやかしによって唯々人を誘惑し、困惑させ、騙しているにすぎないのです。「努力」なくして成功は絶対にあり得ませんから。

ご信心の世界(仏道修行)も「精進」し続けてこそ、様々なご利益がいただける

仏様の真実の教え「法華経」の中では、これでもか!というくらいに「精進〔しょうじん〕」と「受持〔じゅじ〕」という言葉がたくさん出てきます。

精進とは『精しく(くわしく)進む(すすむ)』と書き、手抜かりなく細部にいたるまで入念に努力をし続ける

ということ。

受持とは『受けた教えをいつも忘れず心に留め、ずっと持つ(たもつ=実践していく)』

ということです。

つまり仏様は何を仰いたかったというと、

「南無妙法蓮華経の御題目は誰もが救われる大変素晴らしい教えだが、ただし条件がある。それは生涯にわたって教えを「受持」し、「精進」し続けた者だけが様々なご利益を蒙〔こおむ〕り、最後は成仏することができるということ」

でした。

つまり法華経のご信心をさせていただいている「信者」と自称していても、法要の度にお教務さんに祈願成就の言上をしてもらうだけで普段は自分は何もせず……あるいは、自宅に立派な御宝前をおまつりしているだけで、とくに普段から何かしているわけでもない……これでは「受持」「精進」していることにはならず、ご利益がいただけないことになるのです。

「ご利益がいただきたい!」そう思うのであれば、御題目を日々しっかりとお唱えして祈願し、またお教務さんの説く御法門(説法)で教わったとおりに、法華経の教えに沿った生き方を日々実践してみる。 

しかしときには

「本当にご利益なんて現れるのだろうか……」 

と不安になったり、疑いの気持ちが生じたりすることもあるでしょう。

それでも毎日毎日信心の道をを歩み続けていく……それではじめて功徳は積み重なっていき、いざとなったときには助けてもらえますし、また願いが叶い、驚くようなご利益がいただけるというものです。 

「楽して儲ける、得をする」、こんな風潮が強い今の世の中ですが、「努力精進」はどんな時代にも必要なものだということ忘れずにいれば、一つ一つ幸せをつかみ取っていくことができるはずです。

信心をしてゐる時に見えねども 御利益を見て驚かれけり

佛立開導日扇聖人 御教歌

(努力の過程である「種まきをしている間」は、目に見える結果(ご利益)が現れないので不安に思ったり、疑ったり、損をしていると思ってしまうことが多いもの。しかし結果(ご利益)はいずれ必ず現れるもので、そこへ到達すると精進して修行することの大事がよく分かるものである)

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