簡単に言うとこんなお話
教務(僧侶)であった父親と、信心熱心だった祖父母のおかげで信仰心が根付いた
私は三代目の信者になります。父親は元教務で、母親は檀家の娘でした。そのご縁もあって、私の名前は佛立第十八世講有・清風寺第三世御住職、日地上人に命名していただきました。その父親は朝晩のお看経〔おかんきん=御題目の口唱〕を欠かさない熱心な人でした。母方の祖父母も熱心な信者でした。初孫だった私を祖母は大変可愛がってくれました。子供に恵まれなかった母の姉夫婦からも大変可愛がっていただきました。
ある日、祖母から日々の御宝前のお掃除を頼まれ、毎日御宝前のお掃除を続けていた所、祖母は私に「春休みに、叔母さんと叔父さんが海外旅行に連れて行ってくれるらしいよ。御宝前のお掃除をしたら、ええことあるやろ」と言われました。とても嬉しく、御宝前からご利益をいただけると、毎日手を合わせ、寒参詣、夏期参詣、寝屋川の墓地回向とご信心を頑張りました。その頃の清風寺での思い出は数知れません。
進学・就職をきっかけにお寺から離れてしまうが、叔父の葬儀をきっかけに、またご信心と向き合うようになった
その後進学してご信心からは一旦遠ざかってしまいました。就職後の一年後には結婚、そして2児の父親になりました。29歳で父の支援で起業し、あっという間に35年が経過しました。平成14年、私が叔父の喪主をする事になりました。ご信心から離れていた私は、右も左もわかりません。その時は、同じ教区のご信者方が助けてくださり、無事にお葬式も終えることが出来ました。今でも感謝しております。特に故・増山泰三さん、現教区長の吉田賢治さんには大きなお力添えをいただきました。
ある日、そのお二人から壮年会委員のご奉公を勧められました。私は恩返しにもなると思いお受けさせていただきました。それから18年にわたり壮年会委員のご奉公を続けております。その壮年会のご奉公を通してお寺やご信者宅にお参詣するようになり、自然とご信心に向き合う機会も増えました。
数々のご利益をいただいたのち、今では夫婦共に喜んでお寺や宗門のご奉公をさせていただくようになった
壮年会委員になってから3年後の平成17年末、私は車が大破する大きな事故にあいましたが、無傷ですませていただけました。護っていただいている、生かされていると強く感得させていただきました。
話は変わりますが、私たち夫婦は京都が大好きです。京都に言った折は、必ず本山にご参詣させていただきます。すると必ずご利益がいただけるのです。ある日、夫婦で山門に入ると「お参りに来てくれたんだね。これからも来てくれるね」と開導聖人御銅像の方から慈悲深い声なき声が聞こえてきました。歓びと感動で涙が溢れたのを覚えています。
今は、御住職のご教導をいただき、参与のご奉公をさせていただき、家内は婦人会、また宗会議員のご奉公で、本山にもご参詣させていただけ有難く思っています。
人の人生は波があります。平坦な道ばかりではありません。この先も沢山の御利益をいただけるよう、これからも御宝前にしっかりとおすがり、ご信心第一に勤める所存です。