「時機相応」ということ

 先週は私にとって休暇の1週間でした。 私たち夫婦はサンマリノ共和国を訪れました。サンマリノはイタリアの領土内にある非常に小さな古代の独立国家で、13世紀から途切れることなく続く唯一の独立した共和国です。市民自治に基づいた民主主義を確立したお手本として、歴史家たちは今なおこの”世界で最も古い現代の民主主義の国(共和国)”について語りあっています。

 また、私たちはブナとモミの木の記念碑的な森に覆われた、アレッツォ州の山にある13世紀の古代の神聖なエリア「ラ・ヴェルナ」を訪れました。日蓮聖人のご在世当時だった 13世紀にイタリアと日本でそれぞれ起こったこと、その起源や文化の違い・類似点などを振り返っていると、日蓮聖人が当時のご信者へ書かれた「佐渡からのお手紙」の中に出てくる1つのフレーズを思い出しました。

真の仏法というものは、それ自体が時代と人々の素質に一致していれば、確かに私たちを悟りの道に導くでしょう。反対に、それらが一致しなければ、幾千の経々や幾万の論を研究しても悟りは得られません。

佐渡御書

 つまり、末法という時代に生まれ合わせる私たちは、経文を読んでその深い意味を理解したり、あるいは座禅を組んで自らの心を見つめたりしても悟りに至ることはできません。なぜならば、昔の人たちのように、人としての、仏道修行者としての素質が高くないからです。だからこそ仏様は「南無妙法蓮華経と唱えるだけ」という、シンプルで、誰にでもできる修行を残してくださったのです。国籍、血、肌の色、年齢を問わず、誰でもこの簡単な修行から仏の徳を我が身にいただくことができるのです。だからイタリア人の私でも、日本の皆さんと同じように修行ができ、様々なご利益をいただくことができるのです。なんとありがたいことでしょうか。

 日蓮聖人が末法という時代の初めにお生まれになり、この「今の時代と、今の人々の素質」に合ったその修行を世に初めて弘めてくださいました。時期を同じくして、サンマリノが初めて民主主義国家を確立させ、今なおその姿を残すのは、そのシステムが今の時代と今の人々の考え方にマッチしていたからです。

 今回の休暇では、ふとそんなことを思うことがあり、あらためて日蓮聖人への深い感謝とご恩を感じたのでした。

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