「孤独」とは人が周りにいない状態ではなく
「つながりが断たれた」
と感じる心の痛みのことである。
人は誰かの隣にいても
「理解されない」
と感じた時に孤独となる。
しかし御題目を唱えるとき、お互いは久遠本仏のみならず諸仏諸菩薩諸天善神と直結し、決して独りではない身だと知らされる。
孤独が社会問題になっている昨今、佛立信者は自らの孤独を否定せず、孤独を抱えたまま、他者の孤独をやわらげる存在=菩薩になることができるのだ。
相手の声を聴き、寄り添い、御題目で励まし、折伏して法華経へ導く一挙手一投足が、他者の孤独を溶かし、自らの孤独をも癒してくれる。
孤独を縁として慈悲を育て、つながりを広げ、共に寂光浄土への道を歩むことこそ、法華経信者の第一義である。
孤独の底で自己憐憫に沈むとき、心は「見られていない」と嘆き、世界を敵と見なしてしまう。
孤独を和らげ、つながりを回復する道を、佛立信者は外に求める必要は無い。
すでに菩薩行の中に存在するのだから。











