教務(僧侶)も信者も同じ尊い上行所伝の御題目をお唱えしているのに、ご利益に差が生まるのは何故だろうか?
御題目をお唱えする際に気をつけるべき点が2つある。
一つは「願う内容」だ。
「あの人がこの御題目でどうか救われますように」
と、化他の願いで唱えるのが良い。
み仏のお慈悲=ご利益は雨に譬えられるが、いつも他の幸せを願う菩薩は、日頃から他の草木や動物たちに恵を与え続けている大木のようであり、一度の雨で多くの恵を受ける。
反対に、自分の損得ばかりを考える狭き心の持主は、小さな草木のように少しの恵しか受けられない。
もう一つは「信じる力」だ。
み仏の大慈悲心・救済力である「仏力」は絶大で、また万法具足で一切衆生を救済する御題目の「経力」も疑いの余地がない。ご利益は、そこに祈る側の「信力」が合わさってこそ生まれるのだから、仏力・経力を心底疑わず、身を一切委ねることのできる強い決定心が物を言うのだ。