「近江商人」の精神から学ぶ

近江商人は凄まじいほど「勤勉で、冒険心が強く、頑張り屋」だったという
近江商人は凄まじいほど「勤勉で、冒険心が強く、頑張り屋」だったという

勤勉で冒険心溢れていた近江商人たちは天秤棒1本から富を築いた

頭には菅笠〔すげがさ〕をかぶり、縞模様〔しまもよう〕の道中合羽〔どうちゅうがっぱ〕を身にまとい、肩には荷物を下げた天秤棒。一度はこんな格好をした人たちの写真を見たことがあると思います。これは江戸時代から明治にかけて活躍した「近江商人〔おうみしょうにん〕」の行商スタイルです。

近江商人とは、近江国(現在の滋賀県)に本店、本家を置き、他国へ歩いて行商した商人の総称で、大坂商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つです。天秤棒一本から富を築き、三都(江戸、大坂、京都)をはじめとする全国各地に進出し、豪商と呼ばれるまでに成長していったといわれています。

そんな近江商人の特徴、また成功の秘訣として、彼らは他の商人たちよりも凄まじいほど

勤勉で、冒険心が強く、頑張り屋

だったといわれています。

近江商人の精神がよく分かる「川島又兵衛」の逸話。彼らは苦労の先に富を見据えていた

その「勤勉で、冒険心が強く、頑張り屋」な精神が分かる逸話として、川島又兵衛という近江商人の話があります。

信州(長野県)軽井沢と上州(群馬県)松井田の境には碓氷峠〔うすいとうげ〕とよばれる峠があります。標高は960メートル、日本海側と太平洋側の分水する山脈の一つです。夏の盛りの土用の頃、信州側へ向けて、川島又兵衛が連れの商人と二人でそれぞれ10貫目(37.5キロ)ほどの荷を担いでその碓氷峠を越えようとしていたときのこと。

連れの商人は、途中荷を降して、あまりの辛さから思わず泣き言を漏らしました。

「真夏にも関わらずこれほど険しい山道を、しかも重荷を担いで越えなければならない苦労を考えると、いっそのこと百姓にもどって鋤〔すき〕と鍬〔くわ〕を持って田畑を耕していたほうがましだ。」

と、自分の選んだ人生を後悔したのです。

 この言葉を聞くやいなや、川島又兵衛はこう言ったのでした。

「私もお前さんと同じように辛いし、嘆きたくなる。けれども、こうは考えられないだろうか。今越えようとしている山一つでも十分険しく、商人をやめて百姓になりたいとぼやく人がいるのだから、もしこのような険しい山がさらに五つも六つも続き、それらを超えることができれば大きな利益が得られるであろう。きっとその先には、商売の競争相手はいないだろうからね。私は、今一つの峠を越えた辛さよりも、山が少ないのを残念に思うよ。

 又兵衛のこの言葉を聞いた連れの商人は、無益なぐちをこぼしてしまったと反省し、この一言で心の迷いが吹っ切れたのでした。

歩き続けた者だけに、希望に満ちた未来が訪れる

 御宝前にご祈願をさせていただいても、なかなかご利益がいただけない場合があります。世の中、努力精進なくして欲しいものを手に入れることはできないと頭では分かっているはずなのですが、人間の「楽して得したい」という本能からか、すぐに諦めてしまう人もいます。

 それはまるで美しい景色を見るために登った山を、辛いからといって途中で下山するようなもの。本当はもう少しがんばって登った先にその景色が見えるスポットはあったはずなのに、直前で引き返してしまえば、それまでの努力を自ら無駄なものにしてしまっている可能性があるのです。これほどもったいないことはありません。

 世の中の成功者の多くは、一つの道で成功する秘訣について、一番大事なのは才能よりも「あきらめないこと」だと言っています。

 険しい山道をなんとか登り切り、まだ人が到達していない地点にたどり着いてこそ、美しい景色、壮大なビジネスチャンス、夢の人生が待っているのです。

 御宝前へのご祈願も、あきらめるか、願い抜くか、二つに一つなのです。最後まで歩き続けたものだけが見る、希望に満ちた未来。ご利益を頂いたその日から、あなたの人生は大きく変わるかも知れません。

 ご信心をさせていただく者は、是非、近江商人の精神を見習わせていただきたいものであります。

苦しみてつとむる中におのづから ありとし聞けり御仏の道

佛立開導日扇聖人 御教歌

(仏道というものは、教えを守り抜き、身も心も骨惜しみせず、修行に励んでこそ、そこに功徳の世界、仏の世界が存在すると分かってくるもの。及び腰では、いつまでたっても仏の道を感得することはできないぞ)

夏休みで北近江(琵琶湖の東側北部)を訪れたので、ふとこの記事を書かせていただきました。。。

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