難病で亡くなった娘との再会

田村素子 さん(仮名)・都島北教区

 私には息子と娘、二人の子供がいました。息子は生まれながらに健常児で今も元気で暮らしていますが、娘は国の難病指定にされている病気をもって生まれてきました。紫外線に当たることによって神経細胞が破壊され、少しずつ身体全体が弱り、将来は歩くこともできず全介助になると言われました。病院の先生からは「早い時期に死を迎えます」と宣告されました。その時、娘はまだ生後7ヶ月でした。病院の先生に告知を受けたときのショックで、私は娘と二人、どのように家にたどり着いたか今でも憶えていません。

 その後、極力紫外線を浴びないように家中の窓に紫外線をカットするフィルムを貼り、また車にも紫外線カットのフィルムを貼りました。本人にはできるだけ紫外線を当てないよう、夏でも長袖の服を着せ、帽子をかぶせ、顔には紫外線防止の日焼け止めクリームを塗り、日中はあまり外には出さず、夜になるとよく出かけていました。

 家族の皆がよく協力してくれましたが、残念ながら娘は行年22歳で亡くなりました。

 私は当時、主人のほうの他宗派に所属していましたので、娘が亡くなったことをお寺に知らせ、「すぐに枕経をあげて欲しい」と頼みました。しかし、「そちらは遠いので近くの方を紹介します」と言われましたので、紹介されたお寺へ電話をすると「住職は出かけていて遅くなります」とのことでした。

 どうしたらいいのか分からず思案にくれていた折、娘が亡くなったことを聞きつけて家に来てくださっていた方が「私がお参りする清風寺に相談してみますか?」と仰って下さいました。そのことを主人に相談しますと「すぐにお願いしてほしい」言いましたので、私はその方にお願いをしました。

 早速、清風寺からお教務さん(お坊さん)がやって来てくださり、色々と助言をいただいたのち、臨終のお看経をお勤めしていただきました。その後、葬儀も無事に終え、娘を送ってあげることができました。

 親にとって、子供を亡くすことほど辛いことはありません。しかし、その後清風寺へお参りさせていただくようになり、美しい本堂で御題目をお唱えし、お教務さんの御法門(説法)を聴聞させていただくにつれ、少しずつ悲しみが癒されていきました。

 娘が亡くなってから、初めて清風寺の御会式に誘われて家族でお参りさせていただいた時、とても不思議な現象が起こりました。きっと仏様が私に見せてくださったのでしょう。本堂内陣におまつりされている日蓮聖人の御尊像の前に、突如大きなスクリーンが現れ、そこに映し出されるように笑っている娘の顔が浮かび上がったのです。私はその幸せそうな娘の姿を見て、涙が止まりませんでした。きっと本門佛立宗の御題目で送ってあげたことを喜んでくれたのだと思いました。私はその不思議な現象を今でも昨日のことのように覚えております。

 現在は組長(自分が所属する組のお世話をする長)のお役をいただき、微力ながら夫婦共々お寺のお手伝いをさせていただいております。これからも日々、御恩返しのご奉公に精進させていただきたいと思います。

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