「成長」とは、変化し続けることである。
常に新しいことを学び吸収し、昨日よりも今日の自分が新しくなることだ。
先日、アメリカのプロ野球・メジャーリーグのワールドシリーズを制覇したロサンゼルスドジャースの大谷翔平選手が、とあるメディアから「なぜこれほどまでに活躍できるのか」と問われ、その秘訣を次のように答えていた。
「僕は自分に才能を感じたことがありません。貪欲に練習し、変化し続けてきたから今があるのだと思います。今日できなかったことがあったら、こうすればできるんじゃないかと翌日の練習で試してみて、いつも『ダメだった』『良かった』があり、それをまた試合で試してみる。本当にその繰り返しというか、シーズン中はその毎日ですね」
大谷選手はピッチングフォーム、バッティングフォームはもちろんのこと、食事、睡眠の質などの細部にまでこだわり、目標に向かって今日よりも明日の自分が新しく変化し、成長させていくことが活躍の秘訣だと教えてくれました。
ご信者に「成長が大事」と言うと
「私はもう年ですから」
とあきらめに近い答えが返ってくることが多い。
その人たちは、そもそも仏教が「三世を説く」ということをすっかり忘れているのだろう。
何歳になっても成長し続けるご信者は、その裏で功徳を積み続け、来世にその徳が我身に現れて果報ある一生を送ることができるのだ。
当宗の開祖・開導日扇聖人は、当時のご信者から
「来世どうすれば美人に生まれ変わることができるでしょうか?」
との真剣な問いに対し、
「来世美人に生まれ変わりたければ、毎日自宅の御宝前をしっかりお磨きしなさい。その功徳で、あなたは必ず美人に生まれ変わるでしょう」
と教導されたという。
また、佛立第七世日淳上人は70歳を超えられてからも教学講習会に出席され、授業を怠ける若いお弟子に対し
「わしは今から勉学に励んだとしても学者にはなれん。けどな、来世のために習っておくのや」
と、常勉強と「来世の手回し」の重要性を諭されたのは有名な話だ。