近頃私が多忙過ぎて妻と子供をどこへも連れて行ってあげられなかったので、先日少しだけお休みをいただいて、”水”を求めて遠出をさせていただきました。
先日、娘に
「将来何になりたいの?」
と聞いたら、
「マーメイド(人魚)になりたい!」
と驚きの答えが返ってきました。笑 ←これ、本気のようです!
保育園の先生たちも、偏食がちな娘のためにと
「たくさん食べないと将来マーメイドになれないわよ!」
と言ってくれているようで、お陰様で最近では保育園で出る昼食・軽食は全てなんでも食べてくれているようです。ありがたい限りです♪
そんな「泳ぐことと水遊び」が大好きな娘のために、今回は琵琶湖と日本海へ「水を求める旅」をしてきました。
皆さん、ご存じでしょうか?
琵琶湖には460本もの河川から水が流れ込んでおり、それを水源としています。そしてその琵琶湖の水は、「瀬田川」というたった一本の川から流れ出て「宇治川」へと受け継がれ、やがて「桂川」「木津川」「淀川」と姿を変えていくのです。
その間に水は、穏やかにゆっくりと流れる時もあれば、激流のように荒々しい姿を見せるときもあり、様々に姿を変えつつ、最後は必ず大海原(大阪湾)へとたどり着くわけです。
本門佛立宗の宗祖・日蓮聖人は、私たちのご信心ぶりをこの「水」に譬えられています。
火のごとく信ずる人もあり。あるいは水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時はもへたつ(燃立)ばかりをもへども、とをざかりぬればすつる心あり。水のごとくと申すはいつもたいせず信ずるなり。
上野殿御返事
(法華経の教えをある人は火のごとく信じ、またある人は水のように信じている。火のように信じる人というのは、教えを聞いた時には燃え立つ炎のように熱心に信仰するが、時間がたつにつれてその熱心さの炎は消えていき、やがて信心そのものを捨て去ってしまう心をいうのである。これに対して水のように信じるというのは、いつも退くことなく前に進み続け、持続して信じることをいうのである)
水は山から海へと流れ着く間に、途中、淀むこともあれば、滝や激流のように激しさを増し、一気に流れを速めるときもあります。しかし、どんな場所へ差し掛かろうとも、常に前へ前へと進み続け、やがては大海原へと流れ込んでいくのです。
私たちも凡夫ですから、ご信心をさせていただいていも、人生の時々の心境の変化、環境の変化とともお寺参りをしなくなったり、教えを聴聞しなくなったりして、停滞するときもあります。はたまた大きなご利益をいただいたならば、有頂天になるときもあります。しかし、何が起ころうとも、いつもあきらめず精進し続け、前へ前へと歩んでいくことが大切です。なぜならば、必ず臨終の際には寂光浄土という大海原へたどり着くことになるのですから。