大阪の「キタ」エリアに位置する清風寺。いわばお寺は都会のビルに囲まれています。お寺の建物もホテル?みたいな外観をしており、一歩外へ出るとそこは都会の喧噪そのものです。
清風寺では月に一度、教務さんとご信者さんが一緒になって行列をくみ、お寺の周辺を「南無妙法蓮華経…南無妙法蓮華経……」とお唱えしながら歩く「結縁行列〔けちえんぎょうれつ〕」というものを行っています。
「仏法は毛穴からも入ってくる」と古来より伝えられており、言わば結縁行列というのは、こちらが真実の仏教である「上行所伝の御題目」をお唱えする声を街ゆく「人々の心に届ける行い」です。こちらの声を意識して聞こうが聞きまいが、必ずその御題目の声は耳から、あるいは皮膚の毛穴から人々の心に入っていくのですね。
私たち生きとし生けるもの皆の心の奥底には、「仏性」といって仏の性質が存在しています。しかし、普段は煩悩という欲のけむりの中に隠れてしまっており、ひっそりと眠っていらっしゃるんですね、その仏としての性質は。南無妙法蓮華経の御題目は言わば「私たちの心に眠る仏様のお名前」のようなもので、それを何度も何度もお唱えすると、その我が仏性が目覚めていくのです。人が唱える御題目を無意識に聞いているだけでも、耳から毛穴からその声が入り、聞く人の仏性に働きかけていきます。
いわば結縁行列は、「人」と本門佛立宗が伝える「上行所伝の御題目」とのご縁を結ぶような行いです。
そしてその御題目とのご縁=「仏縁」が、まるで花の「種子」のようにいつか花を咲かせるのです。つまりいつの日か(今の一生のうちか、あるいは来世においてか分かりませんが)、今日の私たちの御題目を聞いた、あるいは肌で感じた人たちが、この仏教の真髄、上行所伝の御題目を自ら唱える日がやってくるのです。そしてその瞬間から、その人は自らが実際に仏となる道=仏道を歩んでいくことになるのです。
唱えるのも、聞くのも、大変ありがたいものなんですね、法華経本門八品所顕上行所伝の御題目は。。。
我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給処を仏とは云也。譬ば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集るが如し。空とぶ鳥の集れば篭の中の鳥も出んとするが如し。口に妙法をよび奉れば我身の仏性もよばれて必顕れ給ふ。
日蓮聖人『法華初心成仏鈔』